ユウの自己紹介(幼少期〜少年期)
こんにちは\( ˆoˆ )/
ユウです。
はてなブログは初となります。
元々ワードプレスでブログを最初に初めて今も更新しているんですが、はてなブログも面白そうだなと思いサクサクっと開設しました。
はてなブログの方ではぼくの副業奮闘記を赤裸々に語っていこうと思います。
詳しい内容はまた次の機会にして。
今回はぼくの軽い自己紹介をさせて頂こうと思います!
幼稚園時代:人見知りすぎる子供でした
九州は熊本県で未熟児として生まれました。
両親は父親が公務員、母親がヨガのインストラクターやったり、太極拳の先生やったり、パートしたりと色々しています(笑)
生粋のシャイボーイ
今もそうなんですがかなり人見知りシャイボーイでした( ̄∀ ̄)
なのに今は介護の営業部の所長とかしてますからね‥。
人生はわからないものです。
未熟児で生まれたぼくは体も他の人より小さく、引っ込み思案。
よく女の子に間違われていました。
名前もユウ(本名です)なので。。。
まあ男っぽくはないですよね。
今でこそ「城田優」さんとか「ユウ」という名前の男性有名人もチラホラ見かけますが当時はいませんでした。
あ、ぼくは平成元年生まれです。
なのでもう良い年したおっさんでございますです。
話を戻します。
女の子に吹っ飛ばされる
まあ、そんなこんなで引っ込み思案な幼少期を過ごしていました。
幼稚園の時のビデオを見ると走っている女の子にぶつかられて吹っ飛ばされてましたからねwww
今は多分大丈夫。
‥なはず。
ちなみに乳製品アレルギーでした。
そもそも乳製品自体も嫌いで、幼稚園で出される牛乳を飲まず麦茶ばっかり飲んでましたね。
そんな感じで誰かの影に隠れながらコソコソと成長していきます。( ´ ▽ ` )
小学生時代:転校ばかりしてました
父親の仕事の関係で合計3回だったかな?
小学校の間で転校を繰り返すことになりました。
3回目の時はもう慣れっこでしたね。
この頃の習慣が今のぼくを作る
この時の習慣が今のぼくの「飽きっぽさ」を作っているのかもしれません。
何か同じところに入れなくて‥。
今の会社でも出張や転勤が非常に多いです。
もしかしたらそういう星の元に生まれたのかも。
まあこちらに関してはまた追々お話ししていきたいと思います。
ちなみに九州で生まれたぼくですが真反対の北海道にも行きました。
なのでぼくは九州弁も話せるし、北海道弁も話せるバイリンガルです。
面白くないですね\( ˆoˆ )/
転校を繰り返したおかげで何となく人と付き合うコツみたいなものを子供ながらに習得していきました。
転校の度に自分を作ってみんなにまずは受け入れてもらわないと学校生活が辛くなっちゃいますからね。
ゆずの名曲「ぼくの漫画の主人公」とリンクする小学生時代
自分に
「自身がないからお調子者になって、何とかみんなに溶け込んでいた。」
↑これ、ゆずの歌の歌詞にまんまあります。
そしてその続きが
「そんなぼくにも夢中になれるモノがあった。それは漫画を書くことだった。」
↑これまさにぼくなんですよ。
まじでこの曲聞いた時はぼくのために作ったんじゃないかと思いました。
実はぼく絵を書くのが好きで小学校に入る前には父親の画力を超えていました。
小学校では賞を何度も受賞しました。
特にドラゴンボールのキャラクターの絵を書くのが好きでしたね。
絵を描くのは上手だった
小学校の授業中もひたすら書いていて友達から「俺にも書いて〜!」と言われてみんなに書いて配ってましたね。
自分で言うのも何ですが画力のレベルが小学生とは思えなかったです。
ちょっと調子に乗りすぎました。
小一が人生最大のモテ期
ぼくの人生で1番モテたのは何を隠そう小学1年生の時でした。
それがピークでしたね\( ˆoˆ )/
小さい頃から女の子に間違えられていたぼくはそりゃあもう可愛がられました(笑)
よく同級生の女の子におんぶされてましたね。
「いや、それモテてないじゃん!」
と思われるかもしれませんがバレンタインチョコはめちゃくちゃもらってましたし、「あの子が好きだっていってるよ!」て何回も言われたり、「私の方がユウくんのこと好きだもん!」とかもう本当に凄かったです。
でも安心してください。
この頃だけですから。
この時くらい調子に乗らせてください。
人生で3回くると言われているモテ期がぼくは1度しかなかったんです。
しかも小学生の低学年の頃だけ。
そりゃあ思い出して調子にだって乗ります。
失礼しました。
まあ、そんなこんなで無事小学校生活を終えて次は1番鍛えられた中学生時代に突入します!!!
ここから先はまた次回。
それではまたお会いしましょう\( ˆoˆ )/
終わり。